とらふすクラシック・358
J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲 前編
ピアニスト 菊池洋子
コロナ禍で演奏会の中止や延期が続いた2020年、ステイホームで時間ができたからこそ20代の頃からいつか必ずレパートリーにしたいと念願だったバッハのゴルトベルク変奏曲に取り組みました。 イタリア留学中にも2回ほど勉強していたのですが、演奏会で弾くには至らず、充分な準備期間が取れるタイミングを待っていました。
シンプルで美しい32小節のアリアに始まり、30の変奏曲を経て、最後に再びアリアで締めくくる32曲、まるで人間の一生を表しているかのような曲だと感じています。最後のアリアは、新たな人生が始まるような希望の光を感じます。音楽的にも技巧的にも鍵盤楽器奏者にとって、エベレストに登るような1時間20分のチャレンジングな作品です。
コロナ禍で先が見えない中、ひたすら家で練習のモチベーションを保つことは簡単ではありません。そんな中、音楽が大好きで毎年夏にイタリアのトスカーナ地方で室内楽音楽祭を開催しているイタリア人の友人が「元気?日本の状況はどお?」と連絡をしてくれ、ゴルトベルク変奏曲の練習計画を話すと、「聴衆が必要でしょう」と言って毎日の私の練習の成果を聴いてくれることになりました。日本時間夜7時、イタリアはランチタイム前の12時、インターネットを繋いで、最初はアリア1曲の5分のコンサート(緊張感を保てるようにリハーサルとは言わずに、インターネットコンサートと名付けていました!)から始まりました。
日を重ねると共に変奏曲が増えて時間も長くなっていきます。毎日続けて6ヶ月が経った頃、遂に初めて全曲80分を通して弾きました。弾きながら日々の日記を綴っ ているような気持ちになったり、これまで思い出すことのなかった昔の様々な記憶が蘇ったり、演奏しながらこのような不思議な感覚と達成感を感じた事は初めてでした。 インターネット越しに友人が涙ぐんでいるのが見え、正に二人三脚で山登りをした気持ちになりました。
菊池洋子
2002年第8回モーツァルト国際コンクールにおいて日本人として初めて優勝。その後、ザルツブルク音楽祭に出演するなど国内外で活発に活動を展開、実力・人気ともに日本を代表するピアニストの一人。
前橋市生まれ、ウィーン在住。桐朋学園女子高等学校音楽科卒業後、イタリアのイモラ音楽院に留学。7月20日(土)、LURUHALLで3年連続となるゴルトベルク変奏曲を弾く。