とらふすクラシック・280
堀米ゆず子とヴァレリー・アファナシエフの初共演に寄せて
音楽評論家 青澤 隆明
堀米ゆず子のヴァイオリンは、確かな芯をもって、ますます深く、円熟の奥行きを聞かせている。そこにあるのは、人間の想像力への、温かく厳しい信頼だ。ここ十年余り、毎年のように和歌山で音楽を届けてきたが、多くの聴き手に愛されてきたのも自然なことだろう。彼女がブリュッセルのエリーザベト王妃コンクールに優勝したのは1980年、ピアニストのヴァレリー・アファナシエフがソ連から亡命して数年後のことだった。ふたりは80年代にクレーメルが主宰するロッケンハウス音楽祭で出会ったが、デュオを組むのは今回が初めての機会となる。
舞台に立つアファナシエフは、ずいぶんと気難しそうにみえる。強い思索のうちに、憂いや嘆きの表情が入り込むのは、ヨーロッパ芸術の黄昏を孤独に生きることを深く自覚しているからだ。モスクワ音楽院では、稀代の名匠ギレリスの愛弟子となった。エリーザベト王妃コンクールに優勝して、74年にベルギーに亡命。商業主義を嫌悪し、独自の歩みを頑固に続けてきた。敬愛してやまない音楽を生きるアファナシエフは、誇り高いだけでなく、きわめて純粋な人間だ。作品の内面に入り込む思考と感情、そして演奏の強度には凄まじいものがある。彼のピアノの深く豊饒な響きを聴くだけで、誰しも強く感情を揺さぶられるはずだ。しかも、シューベルトとブラームスと言えば、アファナシエフが長年の愛着を示し、多くの詩やエッセイも寄せてきた作曲家である。二重奏の曲目は、もちろん堀米の本懐が存分に発揮される名ソナタだ。
出会いから三十数年の歳月のうちにも、それぞれに成熟は満ちてきた。アファナシエフにしてみれば、さらに自由な表現へと向かうようになってきた時節での再会だ。ゆかりの街ブリュッセルでの対話を経て、こうしてともに愛する日本、その最深部ともいえる和歌山での共演は、かけがえのない音楽の時となるに違いない。
待望のデュオ・リサイタルは、11月25日(金)19時開演、和歌山城ホール小ホールにて。
青澤 隆明 プロフィール
東京外国語大学英米語学科卒。著書に『現代のピアニスト30―アリアと変奏』(筑摩書房)など。アファナシエフの語り下ろし著作『ピアニストは語る』(講談社)では当人の要望により、きき手と構成を担った。