縷々のつぶやき

昭和11年創業!岩喜蓄音機店の3代目店主。現在は、LURU MUSICとして、CDショップ、音楽ホール、音楽制作、音楽イベントなどの企画運営を通じて、地域から世界を楽しくすることを日々楽しんでいます。旧:演歌商店のつぶやき。

「華麗なる饗宴Vol.8〜疾風勁草〜」に寄せて

本日付け。とらふすクラシック・38。
  「華麗なる饗宴Vol.8〜疾風勁草〜」に寄せて
             ピアニスト 天羽博和

2012年はドビュッシー生誕150年、そして2018年は没後100年にあたる。この間、10回に分けて彼のピアノ独奏曲全曲を演奏するという計画を立てた。第3回からはピアノ室内楽も取り入れ、8回目となる今回は、晩年の作品群から、「12の練習曲」第1集と「チェロとピアノのためのソナタ」を取り上げる。
 ドビュッシーの音楽との初めの出会いは、中学校2年生の音楽の授業だったように思う。彼の代表的な作品である「月の光」が取り上げられ、教科書の挿絵にはモネの「日の出」が掲載されていたことから、印象派の画家たちから影響を受けた作曲家なのだということを、無知な中学生は刷り込まれてしまった。 実は「印象派」と呼ばれることを、彼は強く嫌ったという。どちらかというと彼の作品は、象徴派の詩人から霊感を得たものが多い。ドビュッシーの代表的な歌曲である「艶やかな宴」は、象徴派を代表するヴェルレーヌの詩によるものだ。この演奏会シリーズの題名の由来もここにある。
 ドビュッシーはモーテ夫人からピアノの手ほどきを受けた。ちなみにモーテ夫人の娘婿が、前出のヴェルレーヌに当たる。一説に彼女はショパンの弟子とも言われており、「モーテ夫人はショパンについて実に多くのことを知っていた」と彼は記している。また、彼の晩年に書かれた「12の練習曲」は、ショパンの「24の練習曲」と類似する点が多く見られ、モーテ夫人を通じてショパンの持つ技法が受け継がれたと考えられ、フランス・デュラン社からショパン作品の校訂を依頼されたことが「12の練習曲」を書くきっかけになったと思われる。
 創作意欲に衰えが見られ、この前年にほとんど発表できなかった彼が、ピアノ音楽史上、金字塔となる作品を何故書き上げることが出来たのかは、今回のテーマでもある「疾風勁草」に集約されている。記念すべきメモリアルイヤーの幕開けを飾る新春1月7日の演奏会に、是非足を運んでいただければと思う。

プロフィール 天羽博和 ピアニスト 大阪府生まれ。和歌山在住。相愛大学音楽学部卒業。京都フランス音楽アカデミー、フランス・クールシュヴェール等でも研鑽を積む。ドビュッシー没後100年の2018年に向けて、ピアノ独奏作品全曲演奏が進行中。
 

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